M-1と私の10年間(円熟期)

そんなわけで、年は明けてしまいましたがM-1と私の10年間の続きです。
■2004年12月26日
この年は、過去10年間の中で私がもっともお笑いに興味がなかった頃でした。ちょうどこの時期に友人たちと「青春18きっぷで国内縦断ツアー」という大学生丸出しなことをやっており、まさにこのM-1当日は三重県にある友人の実家にいました。M-1はちょっと気になってはいたものの、当時典型的な関西贔屓だった私が楽しみにするファイナリストも特になく、録画もせずに旅行を満喫していたのです。ただ、たまたまこの日泊まらせてもらったのが関西文化圏に近いエリアの三重県民宅だったためか、何気なくテレビでM-1を見始めたのでした。
そんなかるーい気持ちで見たM-1ですが、この年は笑い飯の1択じゃないか、という空気が蔓延していた年かと。西田さんの「どうもー優勝候補です」という自己紹介から笑い飯の漫才が始まった年です。かるーく見ながらも、何かネタ長ないかな・・・・?と思っていた記憶が。この年、群を抜いて一番笑ったのが敗者復活枠の麒麟がやったネタです。癒しの森のネタ。アンタッチャブルが圧勝した年ですが、当時まだ標準語漫才にとっつきにくさがあったのか、個人的には断然麒麟のネタが好きでした。♪いかがでしたか僕らのまんざーい♪という、ある種メタ要素のあるネタ。
麒麟のネタ以外では、トータルテンボスオンバト以外で初めて見るなぁ、と思ったことと、ポイズンのおもしろさが1ミリもわからなかったことが心に残っています。
結局アンタッチャブルが優勝し、南海キャンディーズが出てくる年なのですが、この年のM-1決勝前に、東京ウォーカーか何かのM-1特集で、「本命:アンタッチャブル、対抗:南海キャンディーズ」みたいなのが予想として載っていて、それを見て関西出身の友人と「どう考えても笑い飯以外ないやろー」と話していたことがあったのですが、のちのちその特集の予想が大当たりで驚いた思い出があります。
そして、後々もっとお笑いにどっぷりはまってからDVDを見ることになるのですが、DVDで見て一番好きなポイントは、敗者復活コンビとして麒麟の名前が発表されたあとの川島さんの笑顔がとにかく全開満開でかわいらしいというところです。純粋に嬉しさ満点な表情なのです。
■2005年12月25日
2004年から一転、お笑いの波が私の元にやってきた年です。年末が近づいた頃、お笑い好きの友人と高円寺ガード下のやっすーい居酒屋で飲んでいた日のこと。当時、オリエンタルラジオが武勇伝で大活躍だったのですが、その友人の彼女はオリラジを知らなかった、という話から火がつき、やたらお笑い話で盛り上がりました。深夜のテンションそのままに、M-1の敗者復活戦を見に行かないかという話になり、近くのローソンへ直行してチケット購入。当時の会場は神宮球場で価格もまだ1000円だったので、神宮なら近いし1000円なら途中で寒くて帰ってきても悔いはないし〜みたいなかるいノリでした。
そんな軽いノリでもチケットを買うとお笑い熱はより上がるというもの。もともと好きだった(草創期編参照)チュートもこの年決勝に行くということで、私のM-1熱もだだ上がり。当時、私が好きだったbase黄金期メンバーたちもまだ出ていて、応援したいコンビがいっぱいでした。ちなみに、この年チュートの決勝進出が決まったあたりで、周囲の友人たちに「チュートリアルってかっこいいから要注目やで!」という旨のことを言っていたおかげで、後々その友人たちから私が先見の明があるかのような扱いを受けることに。
敗者復活では、ハリガネロックを応援しました。あとはビッキーズやらシャンプーハットやらロザンやらランディーズやら。ライセンスをあらためて認識したのもこの敗者復活の日。トップで登場のライセンス、おもしろかったんです。敗者復活に出てきた方々で知っているのは半分もいない程度でした。流れ星ははりけ〜んず前田さんとのからみで覚えました。ノンスタを覚えたのもこのときです。
肝心の本戦は家で見ました。ブラマヨのおもしろさ・・・!!この年のブラマヨのおもしろさは群を抜いていたような。先日も書きましたが、もう冬やのにまだスイカを買ってはると思われるくだりと、バイクを裏返すくだりと、セイヤーを言うのをやめたって思われるくだりと、ハッハッってやったらハッハッってなるくだりと、梅田で始まった喧嘩が堺まで行くくだりが好きです。惜しくも敗れた笑い飯については、評価の高いハッピーバースデーのネタよりも、1本目のないなーないなーのネタの方が実は好きでした。が、後日ラジオか何かで哲夫さんが「ハッピーバースデーのネタは教養があって初めてわかるネタ」みたいなことをおっしゃっていて、自分の教養のなさに愕然としてものです。
そしてチュートリアル。もうバーベキューの串の順番を覚えるくらい、トーマスマッコイもびっくりするくらい何度も繰り返して見ました。この年、まだビデオテープでしかも3倍録画だったのですが、ほんとに劣化するんじゃないかというほどチュートとブラマヨを見まくりました。そして、ちょっと痛いほどチュートにはまってしまい、ライブにもちょこちょこ足を運ぶようになりました。
■2006年12月24日
すっかり定期的にライブ通いをするようになった2006年、M-1は最大関心事のひとつとなり、全国的にもすっかり年末の風物詩となったこの頃。予選の会場にこそ足を運ばなかったものの、HPで予選の通過者を確認したり予選会場に観覧に行った方のブログをチェックしたり、すっかりM-1のとりこでした。この年あたりが、私の思い入れのある方々の多くがラストチャンスで、もう常にどきどきしながら動向を見ていました。ライセンスをチェックするようになったのも2006年の夏頃からなので、彼らのラストチャンスにかける意気込みやらに触れて、私も熱くなっていました。この年の決勝に私が推していたのは、チュート、フット、笑い飯麒麟、流れ星、ビッキーズ、ライセンスあたり。ビッキーズに時代の流れを感じますが、旧base勢の中ではめちゃめちゃ安定しておもしろいイメージがありました。寄席的なおもしろさですが。
準決勝のレポートなどを読んでライセンスの通過を確信していたのに、決勝進出者の中に名前がなかったときの衝撃が忘れられません。そしてチュートの名前があるのに安心した記憶が。
この年はイブに開催されたこともあり、前年一緒に敗者復活を見に行った友人がデートに行ってしまったため、一人自宅で本戦のみを見ました。この日のことは鮮明に覚えています。
王者の帰還として再挑戦のフット。煽りVTRでファミレスでインタビューに答える後藤くんのかっちょよさといったら。フットボールアワー戦隊のネタも繰り返し見たからイントロ含めて多分いまだに歌えます。M-1の翌日から友人と温泉に旅行に行ったのですが、その友人もM-1を見ていたため、2人でテンション上がりまくって温泉旅館に入るときも、「チェック!イン!エレベーター!オープン!」とフットボールアワー戦隊モードでした。
そして敗者復活の発表。ライセンスの名前が呼ばれたとき、一人で立ち上がって叫んでしまいました。あのとき、勝ち抜けを確信していたであろう藤原さんのガッツポーズのかっちょよさといったら。ネタもおもしろかったんです。もっと得点のびてもええんちゃうん〜と思いながら見ていました。
麒麟の野球のネタもおもしろかったなぁ。この歌もほぼ覚えてます。そして前述の温泉で2人できゃっきゃ言いながら歌ってました。白い恋人おかゆのくだりとか。
さて、何と言ってもチュートリアル。冷蔵庫のネタはチュートリアリズムで見たときから大好きでした。完全にチュートの空気で、観客全体が乗せられていく高揚感。こっちもこっちも開く冷蔵庫にくいつかない徳井さん。2本目、最終決戦のちりんちりんは、M-1の全ネタのなかでも一番好きかもしれません。山崎まさよしのくだりとか。何かを求めてインドに行ったりとか。このあたりも温泉できゃっきゃ言ってたなぁ・・・。岐阜の温泉の思い出もこの日のM-1とセットでいい思い出です。
最終決戦でチュートのネタが終わり、CMに入ったとき、チュートが売れてしまうという寂しさとの戦いでした。まっちゃんもおっしゃってましたが、結果はもう明らかだった気がして、絶対優勝して売れてしまうやん・・・と。私のものじゃなくなるやん・・・と。この10年で、このときが一番嬉しくて切なかったです。
実際、チュートが満場一致の優勝を果たして超売れっ子になっていくのですが、この日の結果でライセンスの順位はもうちょい上でいいやろう〜と思ったことも残しておきます。この前年のチュートのバーベキューもですが。
■2007年12月23日
すっかりライセンスにはまり、おかげで派生していろんなライブを見に行くようになったのがこの年。ブログを始めたのもこの年の秋でした。ただ、私が応援していたbase旧メンバーたちが次々にM-1を卒業してしまい、思い入れのあるコンビがあまりいなくなってしまった年でもあります。ビッキーズが解散したのもこの年で、けっこう大きな衝撃でした。結果的には2009年と2010年のM-1の舞台でビキビキビッキーズを見られて、感慨深い思いをすることになるのですが、この解散は完全にM-1きっかけだった(確か)ので驚きました。好きだったのになぁ、あのベタな感じとか。
さて、この年は今までで一番M-1の予選に足を運んだ年になりました。2回戦から見に行って、3回戦と敗者復活、そしてまさかの決勝まで見に行くことができた年です。応援していたのは、笑い飯やらトータルテンボスやらはもちろんなのですが、何と言ってもNON STYLE。あと、なぜかなすなかにし(当時)も応援していました。大阪のコテコテ感。
敗者復活は、この年から大井になったのですよね。この前年は前述のとおり見にいけなかったのですが、この年ははりきって見に行きました。トップが流れ星だったんです。私が会場に到着したのがギリギリだったせいもあるのですが、ほんとあれよあれよと言う間にネタが始まってしまって、けっこう流れ星を楽しみにしていたのにふわふわした雰囲気のまま終わってしまって残念だった記憶があります。ちなみに私は、「ハイっ、流れ星」がけっこう好きだったのですが、今はやってないんですよね・・?それが残念。
チーモンもけっこう序盤で出てきて、すごく受けていた記憶が。あと、まえだまえだの弟さんが途中でネタがとんでしまって、観客全員が母親のような気持ちで見守ったものです。そしてやっぱりノンスタ。私はほんとにすごく面白かったし受けていたし良かったと思うのです。決勝行ったんじゃないの・・・?と思うくらい。でも、サンドウィッチマンもすごかったんですよ。空気が変わる感じ。
そして、この敗者復活中の抽選コーナーで奇跡が。まさかの私の座席番号が読み上げられ、決勝観覧に行けることに。興奮しすぎて手が震えて、その後漫才に集中できなくなる、という現象が起きたり。そんなわけで、敗者復活の途中で大井を後にして、モノレールで同じ目的地に向かわれると思われる女性お二人をナンパして、4人で浜松町からタクシーに乗り込みました。が、2006年のライセンスが引っかかったクリスマス渋滞に私たちが巻き込まれ、集合時間に間に合わないかも〜といらいらしながら無事到着。決勝を生で見られるという奇跡(前年度優勝のチュートリアルの姿まで見られるという奇跡)。
この年は、決勝メンバーの中では特に笑い飯贔屓でした。この決勝の数週間前にルミネで見たとき、あほほど笑ったので。しかもそのときと同じロボットのネタだったんですよ。なのに、トップの空気感なのかなんなのかいまあいち奮わず。好きだったのになぁばかばかしくて。あとは前評判の高かったトータルテンボスですかね。ホテルのネタすごく好きでした。フリが効いてくるタイプのやつ。そしてキンコン。ウェッサイ世代としては応援したくなります。息つく間もないハイスピードで乗せられる感じ。
そして敗者復活のサンドウィッチマン。超無名コンビの選出に会場も騒然となりました。ノンスタが復活ならずだったのは悔しかったですが、サンドウィッチマンの空気の変わった感じを思い出せば納得です。決勝でネタをもう一度見ても、やっぱりおもしろかったですし。そして優勝ですし。
サンドウィッチマンの優勝は、M-1ドリームのひとつの到達点なのかな、と思い、2007年までを円熟期としてみました。この頃のM-1優勝者のブレイクっぷりはすさまじく、逆に消費されすぎて大丈夫かなぁと心配してしまうくらいでした。「M-1グランプリ」が世間で大きく認められた時代です。そして同じくして、どんどんお笑い熱が上がる私。チュートがブレイクして一抹の寂しさを感じ、続く2007年は、寝ても覚めてもライセンス〜な一年でした。家にいる間中GYAOで無限大を見ていた日々・・・。